血も涙もない

血も涙もないコンピュータとそのネットワーク。
ニュースステーションのキャスターがそう言っていた。

たしかにそうだが、なんか釈然としないものが。

そりゃ、コンピュータには血は流れてない。勿論、涙だって流さない。

そういえば、コンピュータに向かって、何時間も、というのはよくない、と言われる。

そう言われる時はおおむね、対人能力が欠如している、または、対人関係を望んでいない、
という意味で使われることが多いと思う。

たぶん、10数年前までは、そうだったかもしれない。

コンピュータに向かってすることといえば、プログラムかゲーム。
大体、ゲームにはまって、プログラムを覚えていく、そんな感じか。

このとき、コンピュータと対峙していることと言えば、コンピュータと対話である。

プログラムをしていても、「なんでよ」、「そうだよね」などど言ってるよね。
「ごめん、ごめん」とかも言っている。

コンパイルが通らない時。
単純なシンタックスエラーがある時。
コマンド間違えた時。

がこんな言葉を発するときだろう。

周りから見ると、コンピュータとお話ししている状態で、ずっと、こんなことしてたら、
と思われるのは否めない。

だが、しかし、である。現在、コンピュータを使うというのは、ゲームでもプログラムでもなく、
インターネットがメインだろう。多くの人は、Webとメールを主に利用するだけだろう。
ここでのWebは、HP作成やブログも含めてのことだろう。

暇つぶしにHPを眺めているのは、ちょっとおいておいたとして、
明らかに人との対話である。
おいておいた、HPの閲覧も、だれかの表現したものを見ているのである。
そういえば、ネットサーフィンという言葉も聞かれなくなったな。。

インターネットを使って行っているのは、人と人とのコミュニケーションが主体なのだ、
と思う。

自己の表現の発信と、他者の表現による刺激と、勿論、特定の誰かとのコミュニケーションが
行われるのである。

血も涙もないコンピュータとネットワークを使って、人と人とのコミュニケーションが
行われているのである。

コンピュータと向き合うことを、無機質との対話と呼ぶ人は、
一昔前のイメージでモノを言っているのか、
それとも、新たなメディアを理解できずに言っているのか、
どちらかなのだろう。

手紙を書くのは、心温まるのだろうか?
血も涙もない便箋とペンを使って書いても、心温まると言えるのはなぜか。
手書きの文字は違うというのかもしれない、人口のフォントではだめだと。
まあ、手紙の例は極端だと思うが、しかし、何が違うのか。

携帯のネット利用がフィルタをかけることが検討されている。
小学生の目前に、携帯からあふれる情報を制限することに否定はしないが、
それだけでいいのだろうか。
否定はしないというのは、多くの人がそう考えるのであれば、そうすればいい。
ただ、どう利用するかを教えるべきだろうし、考えるべきだ。

子供だって、大人の世界や、ちょっと危なそうな世界くらいわかる。
既に分からないようになっているなら、危機的な状況だ。

問題は、大人がネットの世界についていっていないことなんだろうね。

コンピュータの使い方、ネットの使い方、が主なのではない。

情報の扱い方、収集の仕方、分析の仕方を教え、考えるべきなのだ。

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